幕末の史跡と歴史情緒あふれるレトロな街へ。会津一泊二日の旅。【二日目】
幕末佐幕派の要・会津藩の治めた城下町、会津若松。二日目は幕末に生きた悲しく切ない少年たちの悲劇の地から巡りました。
*「会津若松の旅・一日目」はこちら
maminomemo.hatenablog.com
白虎隊悲劇の地・飯盛山(いいもりやま)
戊辰戦争(会津戦争)において、会津藩の齢16~17歳の少年たちで編成されたのが「白虎隊」。その少年たちが自刃した悲劇の舞台が飯盛山である。
立ちはだかるのは、長い長い階段・・・。こちとら、カメラから三脚から、お泊りセットまでフル装備で重装備なものでな・・・。
でも、安心!動く坂道、もといスロープコンベアがあるから。
意外と急でちょっと怖い。しっかり捕まってないとね。
そんなチートなショートカットを使って、一気に山頂へ。
20名の白虎隊の少年が集団自刃に至るまでの少年たちの思いと共に巡っていく。
会津戦争の最中、少年たちがボロボロになった戸ノ口原の戦いから、「戸ノ口堰洞穴」を通って命からがら逃げ出す。全長約170m、直径約2mの洞穴なのだそう。
その洞穴を抜けた先の、見晴らしの良い飯盛山で、黒煙に包まれた鶴ヶ城を見ることになる。この銅像も、ちゃんと鶴ヶ城の方角を見るように作られていたり。
「鶴ヶ城が落城した。」炎に包まれた鶴ヶ城を見て少年たちは敗戦を悟り、集団自刃に至ったのだった。会津戦争において、実際に鶴ヶ城が落ちたのは一ヶ月に渡る攻防の末だったと知る由もなく・・・。これが悲劇の顛末。
それを美徳とするのかは、わたしの現代的な価値観からは何も言えないけれど、悲劇として今でも多くの作品となり語り継がれるのは、白虎隊の少年たちの主君である松平容保への忠誠心があったからなのだと思う。
尚、この墓に眠るのは自刃を“試みた”20名全員ではなく、19名の少年たち。1名は後に蘇生したのである。彼がいたからこそ、この悲劇が明るみになったとも言える。
さざえ堂
ここ飯盛山には、白虎隊以外にも見どころがある。それが「さざえ堂」。
さざえ堂とは、見た目がさざえの貝殻に似ていることから付いた通称名。正式名称は、「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)」。
この建物のおもしろいところは、「階段がなく」「同じ道を通らない」二重らせん構造になっているところ。木造ではここだけらしい。
道なりに(というか一本道だけど)進んでいくと、いつのまにか頂上に着いて、いつのまにか出口にいる感じ。
帰りも別な道を通る。来た道を通るべからず、なのだ!
レトロな街歩きが楽しめる♪七日町通りをお散歩
飯盛山をひと通り周ったところで、マチナカへ。
レトロな駅舎が印象的な「七日町駅」。駅舎の中には、カフェ兼雑貨屋さんもある。
渋川問屋。その名の通り、問屋さんだったのだけど、今は改装して郷土料理屋さんになっている。会津は、当時の趣きはそのままに観光地になっている施設が多く、写真好きには嬉しい。散策が捗るね。
知らない人はいない!?あの有名人が眠る、阿弥陀寺(あみだじ)
七日町駅前に、こじんまりしたお寺、「阿弥陀寺」がある。実はここには、あの有名人のお墓が・・・!
「藤田家の墓」と、言われてもピンと来ない人も多いかもしれない。
けれど、斎藤一と言ったら、知らない人はいないと思う。新選組三番隊長で有名な斎藤一は、戦争終結後に藤田五郎と名前を変えていたのである。まぁ、歴史オタクの方には説明するまでもないのだけど。一応。
なぜ会津なのかというと、戊辰戦争の折、会津を見捨てることはできないと、会津に留まった縁でこの地に眠っているのである。
小説や漫画なんかの創作の世界で知っている人のお墓って、なんだか不思議な気分!
女性杜氏がプロデュース。鶴乃江酒造でティスティング
昨日に引き続き、酒蔵へ。こちらは昨日のところとは違って、酒蔵の見学はできないけれど、社長夫人と大学で醸造学を学んだ長女が造ったお酒をウリにしている。
というのを下調べで知っていたから、お店に入るなり案内してくれたお姉さんがその方だと気付く。巧みに試飲を誘導し、味見しているうちに純米大吟醸をお買い上げ。だって、おいしかったし・・・。
醸造学って農学部?と思って聞いてみたら、東京農業大で学んだらしい。醸造学は日本酒の他にも、パンやお味噌のご子息が多く学ばれていると言ってた。なるほどね。
骨董倶楽部 昭和なつかし館
タイムスリップしたような、昭和館のある骨董屋さんが七日町通りの端にあった。
記憶の片隅の古い記憶を突くようなレトロな香り。
一階がお店、二階がプチ博物館で200円。一階も二階も撮影自由なのが嬉しい!腕が鳴るね?
薄暗い階段を上がると、そこには昭和な空間が。三丁目の夕日感ある。
昭和のことをそんなに知っているわけじゃないけど、田舎育ちのわたしにとっては、平成の始めもそこそこ昭和っぽさは残っていて、懐かしさを感じる。
喫煙者じゃないけど、こうしてみるとデザインがかわいい。
この値段はその当時のものなのかな。物価が・・・高くなったなぁ。
酒飲みカウンター。これは今でもある?割烹着姿の女将さんとかいてさ。
これは知らない。
この辺はおじいちゃんちだ。
小さい頃は、これを畳に画びょうが刺さっている!と揶揄していたけれど・・・今でも何なのかわかっていない。
昔の写真って、色合いが昔の写真っぽさあるよね。
そういえば駄菓子屋さんってめっきりなくなったよね。イオンの一角にあるお店を駄菓子屋さんと呼ぶようになった。
銭湯。幼なじみの家が銭湯を営んでいたので、これは懐かしい。
これは売り物のガスマスク。ヴィンテージなのかな?なんだろう・・・戦時中とかに使われた?
こじんまりとした空間だったけれど、こまごまと色んなものがあって意外と熱中してしまった。
〆は喜多方ラーメンで!ラーメン金ちゃん
長いようで短かった一泊二日の〆はご当地ラーメンの喜多方ラーメンで。
これで500円。シンプルながらも、喜多方ラーメンらしい太めの縮れ麺とあっさりしたスープがおいしかった。観光客というよりも、そのリーズナブルさから地元の方が多いように思った。うまし。
幕末というと、京都を思い浮かべてしまうけど、会津は穴場かも!機会があればぜひ訪れてみてくださいね。
おまけ
今回仙台から往復の高速バスを利用した。
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